2007年10月31日水曜日

風呂


武雄温泉、桜門。

車で生活しているので、風呂が無い。
ので、贅沢な事に、風呂は専ら温泉。
そんなこんなで佐賀の武雄温泉に行った。
こちら、1300年の歴史を持ち、宮本武蔵や伊達政宗、伊能忠敬も入ったという。
豊臣秀吉が定めたという
「入浴心得」
もある。
ビッグネームが並ぶ温泉に入った。
まぁ、至って普通。
しいて言えば、熱い。
外観は、歴史を感じるイカした造り。
シンボルになっている桜門の設計者は、東京駅と同じ、辰野金吾氏だとか。
何はともあれ、綺麗さっぱり、ぐっすり眠る。
翌日、有田、伊万里の焼き物シティを経由して、長崎県の平戸に行った。
塩俵の断崖に息をのみ、日本で最初の茶畑に。
綺麗な海と、強い緑、何処までも広がる空と眩しすぎる太陽が、夏を見せてくれる。
流れる景色は、一時のプレゼント。
長く止まって見るよりも、流れる中で目に映る景色の方が、鮮明に残る事もある。
ここ平戸は、良か事ばかりじゃ無か。
キリシタン弾圧で何人もの方が、亡くなられていた。
ザビエル記念教会もあり、美しい建物の塀に書いてあった。
「神に感謝を 人に平和を」
素晴らしい言葉だ。
殺される響きなど、そこには無い。
殉教者に冥福をし、街を歩く。
途中、お寺と教会が一緒に見える景色があった。
平和な時代に感謝です。
皆さんにとって、明日が素晴らしい1日で、あります様に。
ほなまたね。

2007年10月30日火曜日

ラッキー。

「受験」。
一大イベントなのだろう。
僕は大学には行ってはいない。
受験もしていない。
ので、大変さは分からないが、この先、そういった事にぶち当たるかもしれない。
先の事はわからないが、「学問の神」、菅原道真の眠る、太宰府天満宮に行った。
全国の天満宮の総本山の様だ。
韓国の修学旅行生が沢山。
それに、交じって参拝する。
その後、吉野ケ里遺跡に。
日本最大の遺跡。
社会の教科書で見た事がある。
ラッキーな事に、年に2回の無料の日。
復元された住居も、中まで再現されている。
出土された品々も、多数展示されてあり、大満足でした。
この土の下に、遺跡があるのかと思うと、社会科大好き少年に戻りました。
素晴らしい日に感謝。
皆さんにとって、明日が素晴らしい1日で、あります様に。
ほなまたね。

2007年10月29日月曜日

博多の夜


昼間に博多をドライブ。
博多もデカイ。
何処に何があるのか、さっぱり解らないので、アメフト青年に聞く。
九州出身の友人は何人かいるが、九州の言葉はヤハリ温かく思う。
〜だけん。
〜しちょる。
よかよか。
街を教えて戴き、昼はドライブ。
夜、再び博多に。
天神に予備校が沢山ある事から、親不孝通りと呼ばれる所がある。
ネーミングのセンス良いなぁ。
そんなこんなで、天神と中洲に。
お目当ては屋台。
川沿いに、ラーメン、おでん、色んな屋台が並ぶ。
何処も賑わい、人間が群がる。
ふと、1人でたまに飲みに行った、新宿ゴールデン街を思い出す。
肩と肩が触れ合う距離で、
「ああだ、こうだ」
言い合う。
対話等では無く、論争で、もはや戦場。
言葉は悪いかもしれないが、労働者達が集う場所。
大衆的で僕は好きだ。
帰り道の公園。
ミュージシャン、ダンサー、水商売の女性、その筋の人、酔っぱらい、ホームレス、僕達。
何か面白いミュージカルが出来そうな、メンバーが行き交う。
混沌とした場所。
帰りにも来ようっと。
夜の博多に。

2007年10月28日日曜日

渡る


海を渡る。
そう、九州に行くのだ。
下関の街や、巌流島は後に残し、関門海峡を渡る。
曇っていた為、トンネルで行く事に。
帰りは、晴れの日に橋で渡るとしよう。
下関と九州の門司は近い。
750メートルしかない。
なので、めっちゃ見える。
トンネルを歩いても渡れる。
何はともあれ、1ヶ月弱、九州に楽しませてもらいます。
九州初日は、門司港の辺りをブラブラと。
そして、リリー・フランキーでお馴染みの小倉に。
これから先、何が待っているのやら。
それでは。

別世界


初の山陰、大満足の山陰を後に、山口県に入る。
長州藩の縁の人物の建築物など、日本が変わった時を感じる事が出来る。
秋吉台という、山道を走る。
広がる草原と、そこから顔を出す、石灰岩。
別世界を、青空が見せてくれた。
カルスト大地と呼ぶらしく、この景観を守る為に、春には山を焼く様だ。
その景色より、もっと別世界なのが、秋芳洞。
洞窟なのだけど、広くて長い。
1キロ程ある。
長い年月をかけ、見た事の無い、素晴らしい姿を作っていた。
見所もたくさんで、こちらも大満足でした。
中が暗かったので、画像が見にくいと思いますが、入り口と一番の見所をアップします。
ほなまたね。

2007年10月26日金曜日

ホヤホヤ


最近、世界遺産の仲間入りをした、ホヤホヤの石見銀山に。
「間歩」(まぶ)
と言われる、銀を採掘した鉱山の跡。
銀山街として栄えた街並みや、神社も世界遺産に登録されている。
間歩は、掘り進んだ跡なので、洞窟の様になっている。
ドラマでアジトに忍び込む時に、ダクトを匍匐前進する様な、狭さの所もあった。
大変さは、中を歩けば分かった。
出口付近で、女性が気分が悪い様で、一緒に来た男性の人が、介抱していた。
話が聞こえてきた。
「ここは、良くない。働いていた人達の苦しみが聞こえてくる。」
と言っていた。
霊感が強い人は大変だなぁ。
資料館で知ったのだが、採掘する現場の人は、30歳まで生きれば長寿と言われた様だ。
いかに、重労働だったのか伝わってくる。
銀の小判も見る事が出来、代官屋敷や、商売人の家も見れた。
その時代の、社会のサイクル、生活を見る事が出来、とても楽しかった。
昼食に入ったカレー屋では、グループサウンズって感じのおっちゃん達が、イカしたカレーを作るし、大満足の1日でした。
さすが、世界遺産。
あっぱれです。
ありがとう。

君がYO


ゲームの桃鉄で、かなりの確率で目的地になる場所。
「出雲」
子供の頃、何て読むのか解らず、親に聞いたのを覚えている。
行先は、やはり出雲大社。
神々の神社。
デッカイ鳥居と、これまたドデカイしめ縄。
君が代の
「さざれ石の…」
の、さざれ石も。
感じるのは、神聖な場所という事。

神社でお祈りをすると思うが、皆さんはいつも何を御願いするのだろうか?
僕も、身近な事から大きな事まで、御願いしてきたのだが、最近は何を御願いしようか迷う。
というか、前は自分の事ばかりだった。
最近は
「俺はいいから、誰々を」
になった。
「自分の事は自分でやる」
という気持ちと、
「心を覗かれているなら、自分の事は言わない」
というのもある。
決して、神様なんて居ないとは思わない。
色々な宗教が有り、神に祈りを捧げている。
そう信じている人達がいる限りは、神様は存在する。
これからも、自分ではどうしようもない事を、御願いすると思いますが、神様、どうかよろしくお願いします。
話は戻り、出雲大社で君が御守りを買った。
買ったのは、長寿の御守り。
家のばあちゃんに買ってくれた。
僕と君の両親の親で、御健在は家のばあちゃんだけだ。
君が買ってくれた御守りはきっと効く。
僕は、嬉しかった。
隠れて泣いたんだ。
笑ったばあちゃんの顔が浮かんだんだ。
この御守りは、大切に送り届けるので、ばあちゃん、元気で待つべし。

画像のアップが、パソコンの電波が悪い所に居る為、出来ません。
前の投稿も、その内アップします。
よければ、見てやって下さい。
ほなまたね。


さざれ石。

2007年10月24日水曜日

ゲゲゲ

鳥取の境港市に、妖怪が大集合していた。
下駄に横縞のチャンチャンコを着た少年?を筆頭に、ゾロゾロと。
境港市は、ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるの故郷。
「水木しげるロード」
という道があり、道路脇を妖怪達が、固めている。
アニメを思い出しながら、楽しく歩く。
東京では、日曜の朝9時から放送していた。
その後放送のワンピースと一緒に、仕事前によく見た。
今の鬼太郎は、映像が綺麗でとっても良いです。
水木しげるは、左手を戦争で失ったそうです。
生きて帰り、右手一本で、僕の楽しみを増やしてくれた事に、
感謝、感謝。
ほなまたね。

2007年10月23日火曜日


ナショナルジオグラフィックという雑誌がある。
自然や科学、日本や世界の文化が掲載されている。
理科の先生が好きそうなこの雑誌を、レゲエの友人に勧められ、読んでから数年間、何故か愛読している。
「鳴き砂」
というモノをご存知だろうか?
上記の雑誌で見たのだけども、歩くと
「キュッキュッ」
と音が鳴る。
それが、丹後の琴引浜にある。
なので行く。
専用駐車場に向かう。
入口の脇に、大きな看板が…。
「本日、砂は鳴きません。」
僕が泣きそうだ。
天候により、鳴かないとは聞いていたのだが…。
やっぱりショック。
帰りに寄れそうなら寄ろう。
で、兵庫の豊岡を通り、鳥取に。
向かうは、鳥取砂丘。
人も多ければ、ラクダも馬もいる。
階段を駆け上がり、広がる光景。
「広っ。」
綺麗な白砂で、砂漠の様な紋様と、砂の山。
裸足で、駆け回る。
楽しかったのだ。

2007年10月22日月曜日

天への道


日本三景の1つ、天橋立に。
昨日書いた、おじさんと君と三人で、歩く。
往復6キロ。
いい運動です。
今度は、上から眺めようと、リフトに乗り傘松公園に。
海に浮かぶ松並樹。
広い空。
いい眺め。
股の間から、逆さまに覗くと、空に続く道に見えたり、見えなかったり。
その後、伊根の舟屋に。
海の上に家屋が並び、車庫ならぬ、船置き場が付いている。
釣りバカ日誌の舞台になった事がある様に、釣り人で賑わってました。
で、浦島太郎の浦島神社に。
玉手箱は見ませんでしたが、有料で見れる様です。
日本のエアーズロック、立岩にも寄る。
風が強く、波がしぶきをあげる中、ド〜ンとしてました。

今日は、海で昼寝したというのに、めっちゃ眠いです。
ので、寝ます。
皆さんにとって、明日が素晴らしい1日で、あります様に。
松坂、おめでとう。
ほなまたね。

2007年10月21日日曜日

丹後の同い年


京都の亀岡より、丹波、福知山を経由して、丹後に。雨を、愛車「白熊」に凌いでもらいながら、進む。

人を好きになる理由は色々とあるが、話をしたり、共に過ごす中でそうなる事が、殆んどだろう。そうなった時は、本当に生きる喜びを実感する。

丹後には、東京で知り合った方が住んでいる。女性で、年輩の方。お勤めを終え、旦那様の田舎である丹後に戻っているのだ。その方が東京から帰る時に、
「日本一周するので訪ねます」
と約束した。そして今回、君と二人で訪ねさせて戴いた。

120年の歴史のある家に、夫婦二人と、僕と同い年の
「ツンちゃん」
と言う女性とで暮らしていた。ツンちゃんは猫。27年生きている。猫の年齢としては、150歳だ。コタツから出てきては、ご飯を食べ、コタツに帰って行く。旦那さんも奥さんも、ツンちゃんに負けず、元気でパワーに溢れていた。二人で畑をやり、野菜作りをしている。ご飯には、手作りの野菜達が並ぶ。本当に美味しい。旦那さんは、
「NPO法人 e−田舎暮らし」(http://www.e-inaka.or.jp)
を立ち上げ、地域の為に働いていた。とても、バイタリティ溢れる御二人で、刺激を受ける。色々な話を聞き、話をし、共に過ごさせて戴き、御二人を大好きになった。

自分より長く生きている年輩の方を、僕は尊敬している。しかしそれは、先輩としてであって、それ以上は無い。年上だからといって、ヘコヘコしたりする気は毛頭無い。
「同じ世界に生き、同じ人間で、同じ土俵に立っている」
というスタンスで、どんな人とも接しようと思っている。
だが、御二人と過ごし、自分はまだまだヒヨッコだと痛感した。それは、知識や経験と言ったモノでは無い。人間の温かさというか、懐の温かさというか、要するに器が大きい。

お陰様で明日への、活力が溢れてきてます。

丹後のおじさん、おばさん、ツンちゃん。温かい時間をありがとう。

2007年10月20日土曜日

浪花の太陽

テレビ等で植え付けられたイメージ。まぁ色々あるが、大阪に行ってみたかった。念願叶い、初上陸。

北海道で知り合ったおっちゃんが、風呂で言っていた。
「北海道の人は、車で煽って来るだろ?大阪でこんな運転したら、即、喧嘩だぞ。」と。
だから運転、ちょっとビクビク。タクシーめっちゃ割り込むし、黒塗りの車、怖く思うし。
大阪駅に、先ず行く。で、御堂筋を難波方面に。駐車場に車を停め、心斎橋商店街をブラブラする。道頓堀川のグリコが、現れる。で、道頓堀をブラブラする。食い倒れ人形と、写真を撮り、飯を食おうと店に入る。店員の対応に、かなりイライラする。サッさと店を出て、行列の出来ているたこ焼き屋で、たこ焼きを食べる。そして、御堂筋をブラブラして、駐車場に戻る。料金が高い。おっちゃんに文句言う。
「この車、大きいから…」
だって。何だかなぁ。もういいや。街を後にする。

万博記念公園に。街で揉みくちゃにされ、イライラし、渋滞と迷った為、夕方前に到着。公園に入る為には、専用駐車場に停めないといけない。入り口のおっちゃんが、
「もう終わりだよ。何処行くの?」
「太陽の塔だけ、見たいんだけど…」
「う〜ん、早く行ってこい。無料でいいや。」
「ありがとう。」
公園の入り口のおっちゃんにも、無料で入れてもらい、太陽の塔だけ見させてもらう。
僕は太郎さん好きなんです。
「すんげェ良かった。」
岡本太郎に見えてきて、岡本太郎に逢ってる気がして、その日一日が一気に最高になる。駐車場のおっちゃんも、公園の入り口のおっちゃんも、ありがとう。太郎さんも、ありがとう。
車に戻るまで、何度振り返って、太陽の塔を見た事か。
オレンジ色の太陽と、岡本太郎の太陽に挟まれ、夕方という時間が優しい気持ちにさせてくれる。

浪花の太陽は、最高や。

2007年10月18日木曜日

鹿待ち。


紀伊山地から奈良の都に。
奈良もたくさんの世界遺産がある。
紀伊山地の霊場と参道は、海側から行くとして、お寺等、いくつか回る。
修学旅行でお馴染みの、奈良公園に。
東大寺等があるが、行った事があるので、ドライブ。
凄い人の数。
そして、凄い鹿の数。
鹿が、道路を平気で横断するものだから、車は鹿待ち。
そして、行った事が無いので、ちょっと楽しみだった、平城宮跡。
スケールの大きさに圧倒されてしまう。
なんか、好き。
でやっぱり、最後は法隆寺。
世界最古の木造建築。
世界遺産が多数。
修学旅行生に混ざり、散策。
ブルーの空に突き出た五重の塔は、生きていた。
1300年以上前に建てられた、これらの建造物は、大地に根を張り、生きているとしか、言いようが無い。
東京に住んでいる頃、新宿の高層ビルの掃除をしていた事がある。
最上階から見る地上と、周りの高層ビル群は、何とも言えない感じだったのを覚えている。
「空から降って来て、地球に突き刺さっている。」
という感じだった。
僕が、住んでいたマンションの屋上からは、新宿の高層ビル群は良い眺めだったが…。
何はともあれ、
「建物は大地に根を張らなくちゃいかん。」
って、法隆寺が言ってました。
ほなまたね。

2007年10月17日水曜日

野猿


京都より、滋賀の大津に行き、琵琶湖を眺めながら飯を食べる。
「海みたいやん。」
旅の計画を立て、いざ出発。
古都、奈良に。
とはいっても、市街では無く、まずは山奥に。
紀伊山地の奥、十津川村に。
嫌になるほど、山道を走る。
温泉に入り、疲れを洗い流す。
「野猿」
とんねるずのグループでは無い。
川を渡る、人力ロープウェイだ。
昔は、良く使っていた様だが、今は観光用として残っている。
綱引きの様に、ロープを引っ張って、向こう岸まで行く。
高さも有り、距離も有るのだが、挑戦。
調子良く飛び出した。
が、真ん中から一気に重い。
重力により、上り。

やっとの事で帰って来る。
もし自分がこの村に生まれていたとして、学校が向こう岸だったら、確実に行かない。
まぁ、観光だったので楽しかったです。
続いて、谷瀬の吊り橋に。
こちらも高く、そして長い。
でもって、木の板。
隙間あるし、穴空いてるし。
始めは、楽しいんだけど、真ん中から揺れて怖い。
帰ろうにも、遠いから向こう岸まで行く。
ばあちゃん達が、楽しそうに渡って来る。
周りの絶景に気付き、楽しく無事に渡れた。
この吊り橋は、地元の人はバイクでも通る様だ。

橋の上で、ガス欠しない事を祈る。

京の都

福井から京都に入る。
白川郷の荻町集落、福島の大内宿に次ぎ、茅葺き屋根の建物が残る、京都の北集落に寄る。
のんびりとした風景を目に焼き付け、京の都に向かう。
世界遺産も多く、とても全部は回れない。
しかも、修学旅行で訪れた事があるので、僕はぶらぶら歩く事にした。
君は、清水寺と金閣寺は見ると言ったので、見ている間、近くを1人でぶらぶらした。
東山で、某有名人の御宅を発見。
祇園の路地裏で舞子さんに逢う。
鴨川沿いを、柳に吹かれて歩く。
碁盤の目をひた歩き、東山から、京都御所を通り、北野天満宮をさらに行く。
金閣寺に着き、君が拝観してる時、ロシア人のおっちゃんとタバコを吸って待つ。
翌日、車で嵐山に行き、渡月橋を渡る。
京都っぽい風景。
街並み、風景、言葉。
京の都を楽しみました。

「おおきに。」

2007年10月15日月曜日

シチュエーション


毎日飲むモノ。水。水道から美味しい水が出てくれば、嬉しい。
この国、各地で名水が湧き出ている。今まで、静岡、山梨、北海道と名水にお世話になっている。生活に水は欠かせない為、大変助かる。そして、福井の瓜割の滝の名水にも、今回お世話になった。地元の方にも、大変に愛されていて、行列に並んで汲ませてもらった。大切に使います。
「ありがとう」

そして、君の友達が京都に住んでいるというので、その女の子に電話する。そしたら、
「夫の実家に息子と二人で帰っている」
と。なんとその実家、先程の名水のすぐ近く。なので、お邪魔させてもらう。
車で五分程。君は友達と、その息子との再会を喜び、僕は初対面。場所は夫の実家。しかも、夫は京都に居て、不在。美味しい昼飯を頂き、その御宅の犬の散歩をしたり、息子と遊んで、楽しい時間を過ごす。
そして、家の主であるお父さんが一言。
「泊まっていきなさい。」
「はい、泊まります。」
という事で、
「夫の実家に夫不在で、泊めて頂く」
という、ちょっと面白いシチュエーションになりました。
君の友達と息子と、お父さんとお母さんと、不在の夫のお姉さんとその旦那様とで、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
本当にありがとう。

昔、福井は朝廷に食材や、料理を献上していた様で、日本の食文化が勉強出来る、食文化館という、ストレートな名前の施設がある。管理栄養士の君は、やはりそこに行く。その間、僕は今のNHKの連ドラの舞台である、小浜の海をボーッと眺める。
「のんびりした、ええトコやなぁ。」

気比の松原や、若狭湾も、良かったです。

なんか福井は、のんびりしてというか、のんびりさせてもらって、
「ええトコやなぁ」
って、思います。
ありがとう、福井。

2007年10月14日日曜日

強者


世界のトヨタ。
名古屋駅の真ん前に、トヨタの本社が入った大きなビル。
街の活気と、今後の発展を感じる。
名古屋に住む妹と、君の友人に逢い、帰りにも寄るので、愛知を後にする。
岐阜に入り、福井を目指す。
「夏草や…」
の、関ヶ原に。
「ここで、天下分け目の戦があったのかぁ…」
と、広がる田んぼを眺めながら想像する。
でも、想像もつかない。
だって生まれてからずっと、平和なんですもの。

旅先で知り合う仲間と酒を飲む。
出逢いに勝る、別れなど無い。
そう信じ、強くなる。
見知らぬ土地で、見知らぬ人と、夜を越える。
素敵じゃないか。
素晴らし過ぎるじゃないか。
君は幸せ者で、僕はもっと幸せだ。


あなたは?

2007年10月13日土曜日

山を越え

あの山の向こうに、何が在るのか?あの海の向こうに、何が在るのか?
正直、何が在るのかはわかっている。しかも、今は簡単に行ける。テレビからも、ネットからも情報は溢れ、何があるか知ったうえで、足を運ぶ。
素晴らしく都合の良いシステムで、便利な世の中だ。

山を越え、飛騨高山に。日本三大美祭りの高山祭が行われていた。豪華な屋台とアスファルトを埋め尽くす人。古い街並みにも、目を奪われる。

山を越え、郡上八幡に。こちらも古い街並みが素敵。綺麗な水が流れる小路を、魚と共に歩く。柳が風に踊り、川が僕達を誘う。
ボーッと眺める幸せな時間。

静岡に生まれながら、近い岐阜県に今回初めて来た。正直、期待以上に見所たっぷりで、楽し過ぎた。

写真と文章。動画と音声。それは、最高のキッカケだ。

祭の熱。温泉の気持ちよさ。川の流れ。あれやこれや。
そして、それらが醸し出す匂い。

山を越えれば、味わえます。

やり手の友達が前に言っていた。

「今に、パソコンから匂いと感触も、感じれる様になる」って。

一般人の知らない所で進む、最先端の技術は、便利であると同時に、何処か恐ろしくもあり、楽しみであるのと同時に、何かつまらなくなりそうな気がする。

僕達の先祖と言われる誰かが、山を越え、其処に住み、街を作り、文化を生み、オリジナルな生活を育んだ。

せめて、ソレらが醸し出す匂いは、己が山を越え、味わう世の中でいてほしいです。


岐阜県、最高!


2007年10月12日金曜日

合掌

手のひらと手のひらを合わせる。「合掌」。屋根が合掌してる村に。

世界遺産は、岐阜の白川郷だけだと思っていた。しかし、富山県の五箇山にある、相ノ倉、菅沼合掌集落も世界遺産でした。相ノ倉と白川郷の荻町集落だけ訪れる。

素晴らしいのは言うまでもなく、芸術の域に達した先人の知恵なのでしょう。

次回は真っ白い冬に訪れたいものです。僕としては、五箇山の相ノ倉集落の方が、観光地という感じでは無く、普通の民家という感じで素敵でした。白川郷の荻町集落も早朝から訪れたので、静か。そして、山や屋根が呼吸する中、別世界に迷い込んだ様で、刺激ある時間でした。

手と手を合わせ、
「ありがとう」。

2007年10月9日火曜日

雨にも負けず


秋雨の不安。夏の雨と違い、寒い。外で料理が出来やしない。冬の前に対策を練らなければ…。

家の「白熊」は雨の為、車から潜水艦状態。

富来にある、世界一長いベンチに。ギネスブックに載ってる様だ。目の前の海は大荒れで、風が強く、ベンチもびしょ濡れ。なので、写真だけ撮り、白熊に乗り込む。能登半島から金沢に向かう。

日本三名園、金沢の兼六園に。こちらも雨。でも、人が多く、賑やか。立派な木も多く、パワーをもらう。晴れてれば、何だって最高だが、「雨の兼六園」も素敵なんだなぁ。大樹は潤い、艶を得る。高台にある為に、空が広く、街も眺めれる。日本庭園と、木を改めて素晴らしいと思う。

あと、人の優しさと助け合う事も素晴らしい。
地元のおばちゃんに、美味しい和菓子をいただいた。


「雨にも負けず… そういう人に私はなりたい」

2007年10月8日月曜日

能登がダブる


白米の千枚田。


大体、1日200キロ以上走るのだが、たまにめっちゃ走る日がある。北海道で、摩周湖から根室まで走った時が最高で、356キロ。そして、今回も大移動。

草津から、嬬恋村に。そして、須坂から新潟の上越市に。で、日本海に沿い、糸魚川、魚津と行き、富山駅に。そして、庄川という道の駅に。この日は、330キロの大移動。下道しか使わないので、疲れたりする。ので、温泉に入り、明日に備える。

翌朝、メンバーの太陽がやる気満々。能登半島に行くのだ。まずは、高岡の古い街並みをブラブラ散歩。そして、雨晴海岸に。ここは、海上越しに3000メートル級の山々が見れる。そんな場所は、「イタリアのベネチアから見るアルプス山脈」、「チリのバルパラインから見るアンデスの屋根」。そして、「高岡や氷見の海岸から見る立山連峰」の3ヶ所だけらしい。しかも、海外の2つは本当に見えてるのか微妙らしく、ここだけなんじゃないかって言われてる様だ。どうやら、高岡市が調査にのり出すとか。
時期が早く、立山連峰が雪をかぶってないのが残念だが、海と、海から顔をだした岩。そして、壁の様な山々。これは、贅沢な景色です。そりゃ、おっちゃんも風景画を描くわ。冬に空気がカラッとして、冠雪してたら息をのんじゃうね。

その後、世界一大きい縄文土器を見上げ、「千枚田」と言う、傾斜に大小2000枚以上の田んぼがある風景に魅せられ、輪島の街をドライブし、海風から家を守る、高くてめっちゃ長い手作りの柵に関心し、空が真っ赤に染まる頃、ふと思う。
と、いうより思い出す。北海道を。能登半島は、道が広くて走りやすい所があったりとか。信号があまり無かったりとか。何より休日とあってか、バイカーが多く、夏の北海道とダブりました。北海道以後、旅人の数も減り、寂しかったのです。だから、なんだかエネルギッシュな1日でした。3連休を利用して、バイカーの集団がたくさん来たのでしょう。

行ってみて、能登半島は見所たっぷりで、砂浜を走れたりするので、ツーリングには最高かも。あなたも、連休が出来たら、愛車にまたがり、出掛けよう。

「能登半島に」。

地震に負けず、頑張っている能登半島に、敬意を込めて。

そして、「ありがとう」。

2007年10月7日日曜日

メロン・オレ


信州から再び群馬に。
志賀高原を走り抜け、日本国道最高地点に。
車を降りると、「寒っ」。
7度。
2172メートル。
カメラを持つ手が寒さで震える。
雲が多かったが、隙間から覗く山肌は、高い所や火山の独特な姿。
白根山の湯釜に。
蔵王のお釜も素晴らしいが、こちらも素晴らしい。
色は、メロン・オレ。
蔵王のお釜より近いので、それも良い。
怖そうなおっちゃんも笑顔で、
「絶景だな。おい、こりゃ、絶景だな。」
を連呼する。
草津温泉に向かう途中、駐停車厳禁の看板が。
そこからは、怒った様な音と共に、煙が噴き出している。
どうやら、有毒ガス。
白根山は活火山。
絶景に感謝しつつも、逃げる様に草津温泉に向かう。
「草津いいとこ、一度は、おいで」
来ましたよ、草津。
凄いにぎやか。
沸き出る温泉を均等に分配する?湯畑という所を中心に、浴衣姿の人達がここぞとばかりに楽しんでる。
負けずに楽しむ。
無料の公衆浴場もあるし、足湯、手湯もある。
おばちゃんの集団と足湯に。
おばちゃん喋る、喋る。
賑やかな夜。
ネオンの光と、湯けむり。
アンバランスな素敵な空が、身も心も温める。

「草津いいとこ、一度は、おいで。」

ほなまたね。
上は、湯釜。下は、湯畑。

2007年10月6日土曜日

カラスの城


山の奥の小さな村から、信州の都へ。大きな山に造られた道や、トンネルは、先人の汗。発展の為に開けた未来への穴の先に、青空が待っている。
トンネルおたくになりそうだ。

木曽の開田高原に。こちらも「日本で最も美しい村」連合の1つ。夕暮れ時とあり、静かに山や大地が眠り始める。夏と秋とが混ざり合い、哀愁を感じるドライブに。

奈良井宿に寄る。昔のままの町並みが残り、散歩にはもってこい。朝だったので、観光客もおらず、のんびりと木の味を楽しむ。

そして、松本城に。黒さ故に別名「カラス城」。城というと、同じようなのが多い気がする。詳しくないので知らないが…。松本城の様にオリジナリティ溢れていれば、もっと面白いのに、とか思う。奈良井宿にしろ、昔の建物はやっぱり「アジ」があるね。

そして、安曇野の大王ワサビ農園にて、広大なワサビ畑と、めちゃめちゃ綺麗な水、おまけにワサビコロッケをいただき大満足。

川中島を抜け、長野市に。長野駅で写真を撮る。
大きい山と、綺麗な川。長いトンネルに、うねる山道。美味しい名産品。昔より残る建物、集落。
「今」が、「全部、楽しめ」って。
ので、楽しむのだ。
ほなまたね。

2007年10月4日木曜日

STOP THE AMERICA

「君たちの悲しみは 俺にはわからないけど、どうか俺の悲しみは 君たちはわかってくれ」
的な、アメリカ。どうせなら、アメリカを止めればいいのに、長野県は僕達を止める。なんせ、通行止めが多い。山なら、しょうがないか…。

朝起きて、車から出る。大自然がおはよう。久しぶり、この感じ。贅沢な1日の始まり。最高のスタート。
まずは、全国に9つある「日本で最も美しい村」連合の1つ、大鹿村に。家のメンバーのエースの太陽が、絶好調の為、のほほんとした時間を過ごす。
山に囲まれ、川を眺め、ばあちゃんが歩いていて、子供がママと虫採りを。
なぁ〜んて、のどかな光景なんだろうか。そして、山に登り、眺めようと思い、出発。が、先に述べた通行止めにより、願いは届かなかったのだ。何ヵ所も通行止めで参ったのだ。残念。

その後、伊那を抜け木曽に。塩尻まで行き、寝覚めの床に。これまた、凄い。どでかい石だか、岩がゴロゴロと。圧倒されちゃいました。

長野は広く、見所たっぷり。明日も、素晴らしい1日になるでしょう。
みなさんにとっても、素晴らしい1日になります様に。
ほなまたね。

2007年10月3日水曜日

さぁ。

出発です。
本日は、移動だけ。
車での生活を思い出しながら、温泉で明日を想像し、楽しむ。
長野県に入る峠にて、工事の為、通行止めが。
引き返したら、大変だったので、工事が終わる5時まで待ち、無事に長野入り。
前半は無事に行けたので、後半も無事に行く。
10月になり、夜は寒い。
何はともあれ、これから起きる日常を書いてきますので、よろしくです。
みなさんにとって明日が、素晴らしい1日であります様に。
ほなまたね。

寝て起きると

寝て起きると、旅に出発です。
西は、修学旅行での京都までしか、行った事がありません。
何があるやら。
興奮を抑え、風呂入り、寝ます。
サイドのkiminoseギャラリーの方、完成しましたのでお時間ある方は、ボクサー風な僕をclickして、覗いてみてください。
これからも、よろしくお願いします。
ほな。

2007年10月2日火曜日

眠れない

今日は、曇天。最近は、雨。
ちょくちょく出かけたが、専ら家。
サーフィンを毎日。
ネットでだけど。
旅では、6時頃には起きていたというのに、
最近は、6時頃寝ている。
人間、早起きをしたほうがいい。
田舎では、みんな寝てるし、何より街が寝ている。
水曜日に旅に再出発する。
なので、今夜は寝ず、朝方の生活に無理矢理もどす。
なので、本日のブログ、ダラダラと長くなると思う。
あしからず……。


今、ばあちゃんの部屋に行って来た。朝に寝る、僕の仕事は、寝ているばあちゃんの向きを変える事だ。車椅子のばあちゃんは、ホント痩せてしまっている。床擦れ防止の為だ。やっぱり、向きを変えようと持ち上げると、起きてしまう。最初は、ぐっすり寝ているのを、起こさない方がいいんじゃないか?と思い、やらない時もあった。しかし、おかんに『床擦れになった方が、可哀想でしょ。』と言われ、やる様になった。俺は、おかんに従う。ばあちゃんへの愛は、俺ではおかんに勝てない。僕が高校の時、ばあちゃんはボケ始めた。おかんは、そんなばあちゃんに、キツくあたる。それが耐えられなくて、言い合いになった事もあった。だが、おかんの方が断然、ばあちゃんの事を思っている事ぐらい、すぐにわかった。それからは、ばあちゃんを怒っても、何も言わない様にしている。
僕が生まれた時には、じいちゃんは居なかった。おとんは婿なので、ばあちゃんはおかんのおかんになる。じいちゃんは、おかんが高校生の時、亡くなった。小さい時は、じいちゃんがいる友達が、うらやましかった。親が共働きで、家に帰ると、ばあちゃんが居る。ホントに、優しかった。そうして育ったからか、今でもじいさんには、あまり感情が働かない。基本、ばあさんは助けるが、じいさんはほっとく。俺が、男だからかなぁ。
人生で一度だけ、ばあちゃんを怒った事がある。高校生の時だ。当時、僕はサッカーに情熱を注いでいた。藤枝という街で、夏休みにサッカーの強い大学が全国から集まり、大会があった。そこに、静岡中西部の高校生選抜が参加する。大学にとってはスカウト場だ。その選抜は、藤枝東という強豪校の選手ばかり。2年生の時に僕は、選抜に落ちた。だから、縁は無かったのだが、棚ボタが。藤枝東の選手が学校の試合を優先した為、急遽その大会に参加しなくなった。そして、一本の電話が、家にかかってきた。
その大会の数日後、家でメモを発見する。そのメモには、先に述べた大会の集合時間や、場所、詳細が書いてあった。僕はその大会には、参加していない。選抜に呼ばれた事を、終わってから知ったのだ。その電話に出たのは、ばあちゃんだった。メモは書いてあったのだが、渡すのを僕に忘れた。その時、僕はばあちゃんを怒った。物心ついて記憶にある中で、初めて怒った。怒りながら、涙が出て来たのを覚えている。チャンスが無くなったというのがある。だが、大好きなばあちゃんを、許せず怒らないといけない事に涙していたと思う。
『怒ってごめんよ、でもぅ……怒るよぉ!』
って感じだ。怒られたばあちゃんは、どう思ったのだろう?自分を責めてたら、つらいな。ボケるのはつらかったが、この事をまず忘れてほしい。
ちょっと、ばあちゃんの向きを変えてきます。


オールナイトすると決めたので、悪いですが、まだダラダラと書かせてもらいます。
僕が、音楽に目覚めたのは、先程述べた、
『ユージ、ばあちゃんを怒る』
という、事件があってからすぐだ。ブルーハーツというバンドに出逢ったというのもあるが、核心は他にある。青春の思い出に、夏休みにホームレスをしに静岡市街に行った。サッカー部のメンバーを中心に、ホント仲が良い友達7名程で。家から、静岡市街までは、バスで1時間以上ある。ルールとしては、
・お金は行きの交通費だけ
・帰りたいなら芸で稼いで帰る
それだけ。
持ち物は、芸で使うサッカーボールと、アコースティックギター。そして、その日は来た。
静岡駅に着いたのは、夜だった。着くなりお腹が減った。ので、コンビニに。もちろん、金なんか無い。もっとも、もちろん万引きなどしない。店員さんに、賞味期限切れの商品をもらうのだ。田舎の地元では、すぐくれるのだが、都会は厳しい。何店舗か諦めずに周り、夕飯ゲット。腹が満たされたので、寝床を探す。コンビニで段ボールを大量にもらい、街を歩く。さんざん歩いたあげく、小学校に決まった。今でこそ、警備が凄くて入れないが、あの頃は違った。そこで、みんなで段ボールにくるまり、少し寝た。僕は、よく家出をして近くの公園やら、地下道やら、保育園の遊具やら、橋の下やらで寝た事があったので、気にせず寝れた。そして、真夜中に起き、街に繰り出した。昼間は人が溢れる町中で、サッカーをした。泥んこサッカーと同じぐらい楽しかった。色んな人がいて、刺激溢れる時間だった。そして、女の子の集団と逢う。話を聞くと、同い年。静岡の女子校に通う子達だった。始発の時間まで、話して盛り上がった。始発の時間になると、女の子たちは帰りだす。そして、駅の近くに住む一人の女の子だけになった。そして、その子も帰り、また寝る事にした。
起きてビックリ。人が凄い。静岡駅の北口の真ん前で寝たのだ。でも、そんなのおかまいなしに、また寝た。しばらくすると、駅の近くに住む女の子が戻って来た。なんと、おにぎりを作って来てくれたのだ。間違いなく、天使。間違いなく、みんなその子に惚れてしまった。そして、ブラブラし、時は来る。
帰るお金をゲットしなければいけない。青葉公園という、メインストリートに行く。変な銅像の前に腰を下ろす。ギター2本に対し、7人の大合唱。ブルーハーツに、長渕に。聞いてくれる人、素通りの人、前においたギターケースに小銭を投げてくれる人。何時間か過ぎケースを見る。みんなが帰れる金など全然無い。話し合う。場所が悪いだとか、歌う人数が多過ぎだとか、笑顔でやろうとか。夜になり、駅の地下街に、場所を変える。小銭が入ってくる。そして、おっさん登場。見るからに酔っていて、ご機嫌だ。
おっちゃんに歌う。
おっちゃん喜ぶ。
おっちゃん財布を出す。
おっちゃん札を出す。
おっちゃん札をケースに入れる。
おっちゃんご機嫌で帰る。
おっちゃんありがとう。
なんと、福沢諭吉が入っていた。酔いが覚めて後悔したかなぁ。合計、1万6千円程に。何はともあれ、これで帰れる。しかし、楽しかった。もちろん、お金を入れて頂いた事は、楽しい気持ちを呼ぶのだが、みんなで過ごしたあの時間が楽しくて、音楽に目覚めることになったのだろう。
それから、毎週静岡に歌いに行った。今、冷静に考えると、あんなに下手でよくやったなぁと思う。知識や技術が増え、その上で自信と責任を持ち演奏するのが理想であり、プロなのだが、あのギラギラした感じは、アーティストやクリエイターと呼ばれる人にとっては、マストアイテムだろう。あの夜、『やる』を選んだ僕は、少し前までその事だけに熱中する事になったのだ。これからも、音楽は続ける。のんびりとやりたい様にやっていく。
旅の後半では、時間の許す限りギターを弾こう。久しぶりに道端で歌おう。怒られない程度に。本当に怒ってくる人いるからね。うるさくしてる人が悪いんだけど。弾き語り一人旅した時に、千葉駅でヤクザにめっちゃ蹴られたからね。その人は
『誰のシマだと思ってんだぁ!』
って。正直、誰のシマだとか考えた事無いし。どうすれば俺が、シマを狙っている様に見えるのだろう。年上の落ち着いたヤクザの人が止めてくれたんだけど。
逆に池袋では、あの人ゴミの中、一人で歌っていると、めっちゃ怖いスキンヘッドの人が頭を撫でてくれ、有り金を全部くれたり。事故って入院した時に、知り合いになったヤクザの人が、たまたま通りかかり、一緒に歌い、池袋西口公園のど真ん中で、スポーツ新聞を広げ、野宿した事もあった。
今夜、眠れないので長い文章になり、一つ思い出せば、いろいろ思い出して来て、振り返ると楽しくなっちゃいました。明日からの旅への活力となる事でしょう。
最後まで読んでくれた人、ありがとう。
お礼にはなりませんが、一緒にホームレスをした仲で、高校時代、体重48キロだった少年が、プロボクサーになり、ボディビルダーになり、もう少しで『かめはめ波』が、出るんじゃないかっていう、肉体をアップします。
やはり、人はやればすごいんだなぁ。